By:ストックホルム在住 大瀧昌之
ストックホルムは、美術館・博物館の数が人口で比較すると世界一多い…と言われています。
大きな歴史博物館や北方博物館、それにモダンアートの美術館の他にも…
音楽博物館や軍事博物館、さらには鉄道や郵便の博物館など…
「えっ、こんなものまで?」という博物館なんかありますから…。
その中でも、ヴァーサ博物館は、ストックホルム市が世界に誇る博物館…と言っても過言ではないでしょうね。
なにせ、ここに展示されているヴァーサ号は世界で唯一現存する17世紀の船舶で、原形の95パーセント以上が保持されており、
数百もの彫刻に彩られたヴァーサ号は他に類をみないユニークな芸術品であり、世界有数の観光名所となっています。
9つの展示場、豊富なグッズのショップや、一流のレストランも備えていて、ヴァーサ号に関するビデオ上映も…16ヶ国語で視聴可能であるとか…
ヴァーサ博物館は、スカンジナビアの博物館の中でも最多の来館者数を誇り…
僕の知っている限り…日本の皇族とそのご家族も、度々ご訪問されています。
僕自身、いろんな機会で何回も行っていますが、何回行っても飽きない…。
何よりも、このヴァーサ号にまつわるいろんな話がユニークなんですよね。
時は1626年…
当時のスウェーデン国王グスタフ2世アドルフの…「世界最大・最強の軍艦を作れ!」という命令によって起工したこの軍艦…
当時のスウェーデンは、ヨーロッパでも大国の一つで、しかも、バイキング時代からの海運国。
おまけに、当時のスウェーデンは世界最大級の鉄の産出国で、大砲などの武器の製造においては、現在に至るまで、その質量ともに世界でも有数な国の一つです。
正に「国を挙げての建造」が始まった…
当時も優秀な造船技術を持っていて、もともと砲甲板は一層の予定だったけど…
海洋王国を誇示したい国王の命令で、建造途中で二層に増やされ…
結局は無理な構造になってしまい、さらに重武装だったために…極端にトップヘビーな艦になってしまいました。
それでも、1628年8月の波が穏やかな日に初航海に出たんですが…
マストに帆をいっぱいに張って、1,300mほど帆走した地点で横風を受け、船の上が重いため復原性が低かったので、そのまま横転して…
150名の乗組員のうち30~50名を道連れに、海底へと沈没。
すぐに引き上げが試みられて、大砲や貴重品は1664年までにはほぼ回収できたんですが…
船体の回収にはことごとく失敗し、海底に沈んだ状態で放置されて…
この後ヴァーサ号が再び出現するまでには、実に333年もの年月を要することとなったというわけ。
1950年の初頭に、民間の研究家であるアンダース・フランツェンがヴァーサ号の探索を開始して、1956年にヴァーサ号を引き上げを行って以来…
数年に及ぶ準備作業の末、ヴァーサ号は1961年4月にその姿を海面に現しました。
そのままでは、保存処理を怠れば木材はひび割れ、朽ち果ててしまうので…
それ以降、専門家によって適切な保存方法が考案されるまでの間、ヴァーサ号には水が噴射されました。
その後防腐剤として、水溶性の蝋製品や、ポリエチレン・グコールの噴射が数年に渡り続けられ…現在に至ったわけです。
このヴァーサ号を観て圧巻されるのは、復元された700点もの彫刻品を含む14,000点以上の木製品ですね。
17世紀の軍艦というのは、戦時に使用されるだけでなく、宮殿を遊走することもあったと言われます。
引き上げられた彫刻には、メッキ材や塗料の跡が残されており…
彫刻のモチーフは、ライオンや聖書の英雄たち、ローマ皇帝、海獣とか、ギリシャ神など…スウェーデンの君主の栄光を称え、君主の威信と文化を礼賛するためのものだったので…
とにかく豪勢というか豪華というか…
博物館にはこの他、引き上げ作業とか当時の工具や船内の様子、さらには当時の市民の姿なんかも展示されて、それこそ…当時のスウェーデンが偲ばれます。
ストックホルムを訪れるなら、見るところはたくさんありますが、
このヴァーサ博物館を訪れるのも、一生の思い出になること請け合いです。
ちなみに…ですけど、
それほどの軍艦が沈没してしまったけど、設計者も工事担当者も…誰も罰せられなかったとか…
建造中に変更を命じたのは、誰であろうスウェーデン国王その人だったので…
誰も責任追及はしなかったという話です。
景色としてもユニークなヴァーサ博物館、やっぱり訪れるのなら、夏ですかね…。
水の都ストックホルムの、「もう一つの顔」ということで…。