私たちはよく「ふれあい」ということばを使います。
一般的には、例えば福祉の世界や地域で「ふれあい広場」、「ふれあいセンター」など「交流」と同意語的に使われていますが…
おもしろいことに、「触れ合い」と漢字で書くと、途端にニュアンスが変わってきます。
例えば、「触れ合い広場」とか「触れ合いセンター」などと書くと、どうも何か濃厚接触をする場のようなニュアンスで、一般的に使われている「人と人がふれあう場=交流し合う場」という意味とは微妙に違って響くでしょう。
そこで、「ふれあい」という言葉が、なぜ平仮名と感じではそれぞれニュアンスが違い、使う場所や状況によって文字を使い分けるのかということを考えると、そこには私たち日本人独特の精神や文化が見て取れます。
海外では、例えば挨拶を交わす時には握手や、場合によってはハグをするなど、人と人が体で触れ合うことをしますが、私たち日本人は、最近でこそ握手をしたりハイタッチする人が増えてきたものの、一般的には、人に触れることなく「お辞儀をする」というのが普通でしょう。
おそらく、相手の身体に直接触れるということは出来るだけ控えるというのが日本的な精神であり、文化なのでしょうね。
「触れ合う」と漢字で表現すると、単に交流や接触といういうより、何か「肉体的」な接触というイメージの方が強く響くために、人との交流の場合には「ふれあい」と平仮名で書く方が、読む人に抵抗なく解釈されるのではないでしょうか。
そして「ふれあい」というと、やはり人と人や、人と動物などとの「寄り添い」とか「心が通う」有様をいうのだと思います。
一方で、私たちは治療をすることを「手当てをする」と言います。
文字通り手で身体に触れるわけですが、これもまた外国語にはない、ある意味で正に「言い当てている」日本的な表現と言えますね。
「手当てをする」というのは、昔から怪我をした時や病を治したりする場合に使われてきた言葉ですが…
その他にも、例えば誰かを慰める時など…「背中にそっと手を当てる」というように、「手当て」、「手を当てる」とは、病を治す時にも「癒す」時にも使われてきた言葉です。
しかし、普通は「触れる」ことを「当てる」とは言わないとは思いますが、この「手を当てる」という表現の中に、「心を込めて」という意味合いも含まれて、人の暖かさで対処する「心遣い」が込められているのではないでしょうか。
さて、「スウェーデンハンドセラピー」はスウェーデン生まれではありますが、実はこの「心を通わせる」という意味での「ふれあい」と、「癒し」としての「手当て」が融合されているものです。
スウェーデンでは、スウェーデンで呼ばれている「タクテール」つまり「スウェーデンハンドセラピー」というのは、人と人が心を通い合わせるコミュニケーションであると捉えています。
そして「触れること」という意味合いは、よくスポーツや仲間内で行われる連帯感を示す「ハイタッチ」であったり、「癒し」という場面でも、また愛情表現のひとつであっても、それはお互いの間で起こる「コミュニケーション」であるわけです。
スウェーデンハンドセラピーは、もちろん治療や癒しの効果を目指すものですが、これは正に、日本でいう「手当て」であり「ふれあい」なのです。
話は変わりますが、先の東北大震災の避難所で、被災者への癒しとしてスウェーデンハンドセラピーを行いに、愛知県から東北の各地に出向いた福祉法人の団体がありました。
一般的に、東北の人は「口が重い」とよく言われます。
テレビなどでは、各地から寄せられる様々な支援に対して、被災者が感謝の言葉で話すのが見られましたが、実際のところ、本心というものは中々言葉に出さず心に閉ざしていることも多いということも語られました。
その福祉法人の団体のメンバーは、テレビなどの取材がない場面でハンドセラピーの説明をしても、被災者の表情からは「何を今さら…」という反応に、初めは戸惑いを隠せなかったそうです。
それでも施術が進むにつれて心も開かれたのか、被災者の方からいろいろ話しかけて来られる場面が多かったとも聞きました。
中には、施術が終わるとマッサージを行った施設職員の手を握り「ありがとう」と涙ぐむ被災者の方もいたそうです。
被災者が東北の方というのはさておき、あの震災の被害はそれほど深刻なものだったのでしょうが…
施術する側と受ける側である被災者の間には、紛れもなく、この「ふれあい」が生まれたということを、その両者が実感されたのではないかと思います。
東北大震災の後も、日本では様々な災害が起きました。
残念ではありますが、日本はいつの世も様々な災害に見舞われてきましたし、それはまた私たち日本人のあり様として、私たち自身の暮らしの中で生き続けてきたものです。
最近は、被災地には全国からの支援者やボランティアなどが集まり、現地での被災者との「ふれあい」の姿がメディアを通しても伝わって来るようになりました。
今は、あのコロナウイルスのために、「ふれあい」の機会がどんどん少なくなってきて、まだその影響が残っていると思われます。
これはまた、私たち日本人が持つ「ふれあい」と「手当て」という癒しの場が失われつつあるということでもあります。
しかし、私たちの周りで、人と人との「ふれあい」と「手当て」の場がなくなりつつある今だからこそ、この「ふれあい」と「手当て」が融合された「癒し」として、「皮膚と心に触れる、スウェーデンハンドセラピー」が、社会の中でより求められているのではないかと思われてなりません。
この新型ウイルスの猛威も影響も、やがては収まっていくでしょう。
その時には、人と「触れ合う」ことを久しく控えてきた私たちも、「ふれあい」を通して、また私たちらしい毎日を過ごせたら…と思います。
そして、その時にこそ、この「ふれあい」と「手当て」のハンドセラピーが、人と人の心をさらに繋げていくということでしょう。